これまで4回にわたり囲炉裏を作ることを目指し、だめになり、復活させるまでの事を記事にしてきました。今回は私がなぜこんなにしてまでも囲炉裏を作ろうと思ったのかを思いつくままに発信しようと思います。
結論から言うと「自分を素直に見つめたいから」です。
いろいろな矛盾がある日常生活をトラブルが起きないように対処していく生活を送る日々。心と裏腹なことを言ったり行動したりする場面もあったりします。高校生じゃあるまいし。何をいまさら言ってるの。世の中ってそんなものでしょ。そんなの当り前じゃんと思える初老の私ですが・・・それは社会生活を送る為に必要なこととしてであり、本音はやっぱりストレスです。そんなしがらみを抜きにした素直な自分に向かい合いたいと思う時もある。
<炎>
炎を見ていると、高校生の時2泊3日で参加したの青年の家でのキャンプファイヤーを思い出します。みんなで大きな炎を囲んで歌を歌い語らった初めての経験でした。不思議なくらい皆の心が一つになっていくのを感じました。この時「炎」には不思議な力があるんだと気づかされました。
<囲炉裏>
23歳の時青森県の電気が通っていない温泉宿に旅行した時にはじめて囲炉裏の体験をしました。友達と囲炉裏を囲んで炭火を見ているだけで幸せな気持ちになり魚が焼けていくのを眺めているとき原始人になったような気さえしました。
<火鉢>
正月にばあちゃんの家でお餅を焼いたのが初めてだったと思います。呼吸をするような炭火と陶器の火鉢を触って熱いと思ったのをおぼえています。
<揺らぎの先に自分を見つめる>
揺らぎには心を解放させて癒しの効果があると言われますが本当にそう思います。炎や炭火が生きているように感じています。と言うか自分の心が炎を眺めることで「普段気づいていない無意識の領域まで見せてくれる」と感じます。
長く生きていると知らず知らずのうちに「虚栄心・先入観・プライド・自尊心」などが邪魔して本当の自分の姿が見えなくなってしまいます。私は自己顕示欲が強く考えを否定されると自分の考えを通そうとする傾向が強いです。これは自分を実際より良く見せようとする虚栄心から来ているんだと思います。「人の心を傷つけたり、悪口をいったり、嘘をついたり、・・・」ちょっとは悪いと感じてもでも他の人だって一緒だし社会生活をするためには当たり前の事で自分が悪いなんて気持ちはほとんどありません。どちらかと言うと自分が悪いんじゃなく、周りが悪いんだと考えているんです。
炎を見ていると素直になれます「怒りや自分さえよければいいという気持ち、相手を押さえつけて自分の考えを通そうとする心、欲しいものを手に入れるために言った嘘など・・・」挙句の果てには、さっきさばくときに聞いた魚の鳴き声ときれいな目がリアルによみがえってきたりします。ああ自分はあのお魚さんの命をうばって生きているんだ、今日傷つけてしまった人達に申し訳ない気持ちと一緒に自分自身への悲しい気持が押し寄せてくるんです。
それでも生きていくのなら、人に役に立つ生き方をしたいと自然に思えます。そして晴れやかな気持ちが湧いてきます。情けない自分を突き付けられて晴れやかになる不思議な感情です。ジブリ映画で炎を擬人化していましたが、本当に炎には心があるんじゃないかと思っていて、自分一人では気づけない事を気づかせてくれる。相談相手になってくれているんじゃないかと思います。
親しい人と炎を囲んでいるとき、心が通じるような感覚がしませんか?これもまた同じ炎を見つめる事でいつもとは違う心で相手を受け入れているんだと思います。
炎を見続けることで、いつもは経験できない「リラックスした状態になり」炎の揺らぎの中に心が解き放たれ虚栄心や言い訳がだんだんと剥がれて少しづつ素直な心が表れてくる。
時折こういう時間が欲しい。いや自分のような人間には特に必要だと強く思い日常の中に炎の揺らぎが欲しいと考えるようになりました。それで囲炉裏を作ろうと決意したんです。庭に素敵な囲炉裏が出来ました。これから梅雨真っ盛りで雨養生が大変なのがたまにきずですが(汗)
今回で「外囲炉裏を作る」は終わりになりますが、これから囲炉裏の事も時々記事にしていこうと思います。魚を焼いたり、お肉を焼いたり、焼き芋したり、焼きマシュマロしたり、ずっと焚火を見ていたり、お茶会したり・・・末永く大切に物語りを作っていきます。お楽しみに!!